元帥
出典: Memory Alpha
元帥(Marshal or Fleet admiral)とは、軍事組織における最高位の階級である。この階級と同等の階級は様々な種族の軍事組織においてい使用された。一般的に陸軍元帥をMarshal、海軍元帥をFleet admiralと呼称する。尚、宇宙艦隊元帥は「艦隊司令官」と呼称する。
尚、元帥という階級はどちらかというと称号であったり、役職という色合いが強く、宇宙艦隊の元帥職についても本来の階級が中将であったり大将である提督が、艦隊司令官に就任し一時的に「元帥」とされるというケースが多いとされる。
[編集] アメリカにおける採用例
以下(出典:wikipedia) 広義の元帥は階級とされていても個別的な称号的色彩が強く特定の国家においても多様なものとなることが多い。地球の例でいえば、第二次世界大戦後は、各国においても軍隊の規模が縮小され、また大規模な戦争が行われていないことから、西側諸国においては元帥の実際の就任例は少ない。
例としてアメリカの軍事史においては、アメリカ軍最初の「Lieutenant General(中将)」だったジョージ・ワシントンが1799年に死去したのち、合衆国政府は平時にお ける軍の最高位を「Major General(少将)」と定めることとした。その後、米墨戦争で活躍したウィンフィールド・スコット陸軍少将が1855年に中将に任ぜられるまで、軍人の最高位は少将にとどまった。1861年にスコット中将が退役したのち、1864年3月2日にはユリシーズ・グラント陸軍少将が3人目の中将に昇進した。
一方海軍では長らく最高位は「Captain(大佐、直訳は「艦長」)」だったが、1862年7月16日に初めて「Rear Admiral(少将、直訳は「後衛提督」)」の階級が定められ、9名の海軍少将が誕生した。1864年12月21日には南北戦争の英雄デイヴィッド・ファラガット少将が最初の「Vice Admiral(中将、直訳は「副提督」)となり、さらに1866年7月25日には最初の「Admiral(大将、直訳は「提督」)」に任ぜられた。1870年のファラガットの死にともない、デイヴィッド・ポーター海軍中将が大将に、スティーヴン・ロウマン海軍少将が中将にそれぞれ昇進したが、それ以降は1899年にジョージ・デューイ少将が海軍元帥となったのを唯一の例外として、1915年まで海軍軍人の最高位は少将にとどまった。1915年には、大西洋艦隊・太平洋艦隊・アジア方面艦隊の司令官をそれぞれ大将もしくは中将に昇進させることが議会で認可されている。
1866年7月25日、合衆国議会はユリシーズ・グラント陸軍中将の南北戦争での功績を讃え、グラントに「General of the Army of the United States(陸軍元帥)」の地位を与えることを議決した。1869年3月4日には、やはり南北戦争の英雄であるウィリアム・シャーマン陸軍中将にも陸軍元帥の地位が与えられた。当時の陸軍元帥は、階級というよりは称号としての性格が強く、グラントは階級は中将(三つ星)扱いのまま、特別に四つ星の階級章を帯びた。またシャーマンは、二つ星の中間に合衆国国章をあしらった階級章を帯びることが許された。
1888年6月1日の法令により、陸軍中将の階級はいったん廃止され、陸軍中将は陸軍元帥に吸収されることになった。これにより陸軍総司令官のフィリップ・シェリダン中将が自動的に陸軍元帥となり、同年8月5日にシェリダンが死去した時点で、陸軍軍人の最高位は再び少将となった。その後再び陸軍中将は復活し、1895年から1906年までの間に、総計で7名の陸軍中将が誕生している。
しかし第一次世界大戦への参戦にともない、陸軍軍人の最高位が少将もしくは中将では支障をきたすようになった。ヨーロッパでアメリカ軍とともに戦う他の連合国軍には大将級の指揮官がいたため、指揮系統のバランスをとるために、アメリカ陸軍の最高指揮官にもそれと同等の階級を与える必要性が生じたのである。このため、1917年には陸軍参謀総長のタスカー・ブリス少将が、1918年にはヨーロッパ派遣軍総司令官のジョン・パーシング少将がそれぞれ「General(大将)」に昇進した。パーシングにはその後さらに陸軍大元帥の地位が与えられている。1918年にはペイトン・マーチ少将が陸軍参謀総長就任にともない大将となったが、その後、1929年まで陸軍大将は一人も出ていない。1929年以降は、陸軍参謀総長に選ばれた少将を一時的に大将に昇進させることが慣例化した。 第二次世界大戦にともないアメリカ軍の規模は一気にふくらみ、将官の数も著しく増大した。さらに、大戦末期のヨーロッパ上陸作戦に際しては、共同で作戦に当たるイギリス軍の指揮官に元帥がいたため、アメリカ軍でも大将よりさらに高位の階級が必要となった。
これをうけて1944年12月14日、新たに「General of the Army(陸軍元帥)」および「Fleet Admiral(海軍元帥)」の階級を定める法令が制定された。これは、イギリス軍の「Field Marshal(陸軍元帥)」および「Admiral of the Fleet(海軍元帥)」にそれぞれ相当するもので、称号的色合いが強かった19世紀の陸軍元帥とは一応独立した、一個の階級である。階級章は星五つを五角形に配置したものと定められ、特に陸軍元帥の肩章には、星の上部に金色の合衆国国章が付け加えられた。
陸軍元帥の階級名として、他国で広く用いられている「Marshal(直訳は「戦闘指揮官」)」を採用せずに「General of the Army(直訳は「陸軍総指令官」)」としたことについて、しばしば「元帥をマーシャルにすると、まっさきに元帥になるであろうジョージ・マーシャルが「マーシャル・マーシャル」になってしまい不恰好」という理由が挙げられることがある。しかしこの説は俗説で、実際には19世紀の「General of the Army of the United States(陸軍元帥)」を継承するかたちでこの名称が採用されたとの説が一般的である。またそもそもイギリスから独立したアメリカでは、閣僚のことを Minister(大臣)といわず Secretary(長官)としたように、君主制の旧宗主国イギリスで使われてきた国家機構の呼称を意図的に変えてきたことも理由のひとつとしてあげることができる。
1944年12月、アメリカ上院は陸軍と海軍でそれぞれ4名ずつ元帥を任命する議案を承認、軍内での序列に応じた順番で元帥に任命された。陸軍はすんなり4名を任命したが、海軍は4人目の絞込みが出来なかった。海軍内での下馬評はウィリアム・ハルゼー大将であったが、海軍を実質的に牛耳っていたアーネスト・キング元帥はその場合お気に入りのレイモンド・スプルーアンス大将が選から漏れるとして決定を避け、ジェームズ・フォレスタル海軍長官に1 番・スプルーアンス、2番・ハルゼーの他4人の上級提督の名を記入したメモを渡して採決を委ねた。採決を委ねられたフォレスタルはこの順番を気に入らなかったが、決め手に欠け、数ヶ月間任命を放置した。結局フォレスタルは決定をトルーマン大統領に委ね、トルーマンは国民的人気の点からハルゼーを1945年12月に元帥とした。
1946年4月アメリカ上院は元帥8人を終生現役待遇として保持する上院委員会の進言を承認、元帥にオフィスと副官1名、O-11の固定給と年俸15,750ドルの特別手当を生涯支給する事となった。ところが文民統制により現役の軍人が合衆国大統領になることはできないため、陸軍元帥だったドワイト・アイゼンハワーは大統領選挙出馬にあたって元帥位を辞さざるを得なかった。大統領を二期八年務めた後、次のケネディ大統領はただちにアイゼンハワーを「1944年12月20日に溯って現役の陸軍元帥に再任」している(「現役復帰」ではない)。
1947年に新たに空軍が創設された際、その最高位の階級として「General of the Air Force(空軍元帥)」が定められ、空軍の生みの親であるヘンリー・アーノルド陸軍元帥にこの地位が与えられた。その後、初代統合参謀本部議長に就任していたオマー・ブラッドレー陸軍大将が1950年に元帥になって以降、元帥になった者はいない。
冷戦時、戦略航空軍団の重要性が著しく高まった際に、北アメリカ航空宇宙防衛司令部司令官に元帥の地位を与える提案がなされたことがあったが、結局実現しなかった。1990年代には国防総省が、統合参謀本部議長を元帥に任ずるプランを示唆したこともあったが、この提案も未だに現実味を帯びていない。また、1994年と1995年にはビル・クリントン大統領によって、コリン・パウエル退役陸軍大将に元帥の地位を与えることが計画されている。しかしこの提案も、議会を通過する見込みが少なかったため見送られることとなった。パウエルは1996年の大統領選で、民主党の現職・クリントン大統領の対立候補として、共和党から立候補すると予想されていた(実際にはしなかった)が、このことも提案が見送られた理由の一つである。
